関西学院大学山岳会 KWANSEI GAKUIN UNIVERCITY ALPINE CLUB

 エーデルワイスの編集者から「学校から見た山岳部」という題で何か書けという注文があった。何でも書けそうで、さて愈々ペンをとって見ると何から書きはじめてよいか、色々なことが雑然と頭の中を去来して、思想の統一がとれない。年令の関係上、近頃は全く登山をやめてしまっているし、学校では雑事に埋もれて、学生諸君のために、何一つとして御役にたつようなこともしていないので、せめて二、三の感想でもつづって、山岳部の諸君に平素のご無沙汰の御詫びをしたいと思う。

一、学院運動部における山岳部
   ベースボールやラクビーなどの一般運動競技違って、山岳部には、あの旗と歌と拍手の織り交ざった  賑やかな応援もなく、大衆観視の中で戦う花々しい試合もない。彼等はただ夏と冬の休暇、学年末の  春休みのシーズン毎に、黙々として予定の計画に従って行動するだけである。時に、前人未踏のコー  スを突破し新記録を樹立することがあるけれども、それだけが目的ではない。登山を通じてよき計画と  万全の準備をなし、協力と克己によって目的を遂行することそれ自体に登山の意義を見出しているの  である。
   このように、山岳部は、極めて地味で、学生大衆の間に目立つような行動は何一つとしてないので   あるが、それでも尚山岳部員は学生の間に心から尊敬と信頼を受けているものが多い。それは、彼等  の成績が特に優れているという理由からではない。登山を通じて養われる真面目、協力、忍耐といっ  たような高い徳性と崇高、神秘なものに憧れる一種の宗教心のようなものの発露が、低俗な趣味と利  己的な社会に倦々している若い人々に何か清新なバイタルな感覚を与え、彼等の心の琴線に触れる  ものがあるためであろう。殊にマナスル登攀の成功や南極観測隊に山岳人が参加し、山の経験が大  いに役立ったというニュースなど国際的なバックグラウンドも山岳部に対する愛顧を増し加えた原因と  も考えられる。
   このような意味で、学生のクラブ活動中に山岳部が存在することは、大学教育に対する大いなるプラ  スである。大学教育は、只単に教室で講義をするだけでなく、学生の色々な文化活動、運動競技、宗  教活動などを通じて行われる全人的教育であるから、高い精神力と強じんな体力を養い得る山岳部   の存在は、大学教育に役立つものであるといわねばならない。
二、新制大学における体育と山岳部
   新制大学が発足して以来すでに十余年を経過した。この間、新制度の利害、優劣について、多くの   批判がなされているが、そのうち最も大きな問題は、一般教養学科を如何に配列し、如何に教育する  かということであるが、これについて問題を提供しているのは、体育の在り方である。
   新制大学では、全学生に体育実技二単位を履修することを卒業の必須条件としている。然るに、各  大学とも訓練を受けた良い体育教師が不足しているため、この面で満足な教育が行われている大学  は数少ない。そこで多くの大学では、体育教師の補充策として、運動部の先輩を動員し、何とか名目   をつけて当面の困難を切り抜けているのが実情である。わが学院でも小規模ながら、一時的に、他大  学と同様なことを行っているが、特に現役の山岳部員が、過去数年に亘って、学院に協力し、未経験  学生のアルプス登山を指導援助し、彼等がある程度の体育単位を獲得するのを助けていることは注   目に値する事実である。
   登山に成功するためには、先ず良き計画と万全の準備がなされねばならなず,更に登山には、体力   の他、忍耐、協力、克己といったような高い徳性が必要であり、而も之等の精神力が登山を通じて自   然に養われるのであるから、登山は、単なる技でもなければ体力だけの問題でもない。
   新制大学で、精神修養の機会が足らないのは、教育欠陥の一つであるが、登山はそれ自体を通じ   てこのような精神力を得るのであるから、山岳部の新制大学における教育上の寄与は、非常に大きく

  評価されすべきでり、このような計画は、今後も毎年実施されることが望ましいと思う。
三、山岳部の将来における事業
   山岳部の部員や先輩の間には、山岳部の将来について、色々と楽しい夢をえがいている人々が多  いことと思われるが、その夢の中に私の夢も二つ三つ入れて欲しい。
   前人未踏の岩壁を登ったり、雪営の新記録をつくることは、若い人々にとっては、やらずにはおけな  い大きな衝動に違いない。然しこれだけで満足せず、できることなら、登山に併せて、研究調査や社   会奉仕をやったらという欲がでてくる。地質や気候の研究、山岳医学などは自然科学系大学の学生で  なければ、できないことであるが、人文科学系大学の学生には山村の経済や山麓の村や部落の社会  調査などは、格好の調査対象となるのであろうし、又文、法、経の学生などは、山麓の村々で、夫々   の分野における通俗な講演会や懇談会などを催し、或はカラー写真などを利用して国際情勢の報告   会などを企て、山村青年男女の教育のために奉仕することも学生らしいよい計画ではないかと思われ  る。
   従来、大学の山岳部は、夫々独自の行動をとっているが、もうぼつぼつ各大学登山部が協力して、  特定目的を達するような新しい発足をなすべき時期が来ているのではなかろうか。登山に関する協同  研究なり、各大学の山岳部のベテランが登山隊を組織して、カナディヤン・ロッキー、イランの高峰、ヒ  マラヤの諸峰征服のため、海外に進出することは。学生活動として望ましいことと考えられる。
   最近、各種の運動関係者の海外進出が目立ってきた。レスリング、テニス、ベースボールはもとより  、剣道部選手すら、近く米国に渡航し、太平洋諸大学で試合をすると聞いている。日本の諸大学の山  岳部の協同による外国の高峰登攀と、このための調査研究は、もうはじめられてもよい。このために   は、夫々目的地の国の大学との協同計画でもよいし、又日本の大学のみの単独登山でもよい。何れ  にしても、実行には二つの点が大切であると思う。即ち、その一つは、目的地の言葉をある程度知る   ことである。勿論通訳は雇う必要がある。けれども、学生の中である程度先方の言葉が話せることは  、国際親善の上から望ましいことではあるまいか。
   第二に、周到な準備をすることである。マナスル登攀の成功も一つには事前に、徴密周到な計画と  準備があったためである。目的地の地勢、気象、食料の補給状況、人情、社会習慣など調査しておか  なければならぬことは非常に多い。

   このような計画が実現するには、一朝一夕の業ではない。それだけに、心ある人々は、今から計画  をたて、調査をはじむべきで、山岳部の国際的進出について、学生も、先輩も大いに考うべき時期が   来ていると思う。

  注:本文は『Das Edelweiss U 昭和33年4月1日発行』より転載しました。


             学校から見た山岳部                                                                      元山岳部長 原田脩一