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2006年ポスト・モンスーンのマナスル登山での大失態

南井英弘

■ 末文に21枚の=「マナスル写真集」があります。 ■

05年春に引き続き、今年は9月3日からポスト・モンスーンのマナスル登頂を目指して出かけましたが、初歩的な不注意で本格的なアタック活動も出来ず、全くの燃焼不足のままに終わりました。反省をこめてここに敗因を記します。ご笑読下されば幸いです。また、メディカル・ドクターのご見解とコメントも記載しましたので今後の山行にご参考になれば幸いです。

1.マナスル登山に出かけるに当たって

昨年春は全くの悪天候で、我々JAC隊や諸外国隊も遂に登頂が出来なかった。登山活動後、ラルキャ・ラ方面にトレッキングし、マナスルを北面から観察し、再起すれば何とか登頂を果たせるのではとの印象を受けた。そんな事で昨年6月2日の帰国後1年3ヶ月、できる限りのトレーニングを重ねた。

毎朝夕のストレッチと柔軟体操、毎日、重荷(15〜20kg)を背負い足首に重し(各2kg)を着けて2〜5時間の階段上下を含むウオーキング。朝食は各種のおかずと共にご飯なら3杯、その上に野菜、果物、豆乳、自家製豆乳ヨーグトなど腹いっぱい食べ、最後は緑茶をしっかり飲んで胃袋を最大限に保つように努力した。また、正月は上高地で迎え、霧が峰、日光雲竜峡、蔵王、栂池、立山にスキーなど、そして残雪期の八ヶ岳に2度耐寒訓練を兼ねて出かけた。また、5月5日にはスキーを担ぎ富士山頂に登り、8月10日には富士山頂で1泊、出発寸前には3日連続して三浦BCで各3時間5,000〜5,600mに調節された常圧低酸素室で高所順応促進(ロードをかけた自転車漕ぎ、登坂マシンでのウオーキングなど)に励んだ。

自宅近くの東京大学大学院、柏キャンパス内に「生涯スポーツ健康科学研究センター」が開設され、4月26日にお披露目と講演会が開催されました。その席でハンマー投げの室伏広治選手、水泳の北島康介選手など多くのオリンピック選手のアドバイザー、大谷勝大学院教授にお会いする事ができた。それ以降、マナスル登山隊に「アミノ酸コンディショニングサポート」としてアドバイスを頂き、個人的には各種ご指導を受け、出発までの4ヶ月間で下腿,上腿は勿論、腕や胸、腹までしっかりした筋肉が出来ているのが自覚できた。

2.大失態とは

このように思い残す事がないほど絶好のコンディションが出来上がり、後は天候次第だとマナスルの山麓に降り立った。モンスーンの空ける前は雨も多いようだ。9月11日、曇り空の下、サマ村(3,600m)からBC(4,900m)に向う。途中で雨となり、雨具を着て大汗をかきながら7時間かけてBC着。夕食前にはすごい空腹感があった。いざ、夕食を食べ始めたところ、何故か唾が出てこなく、いくら噛んでも食事が腹に流れ込まない。胃のほうも受けつけていないようだ。

実は2001年、カラコルムのスパンティ−クに出かけた時も同じ経験をしていた。スカルドから猛暑の中、チョゴルンマ氷河を5日かけてBC入りした。この日の夕食から、空腹感はあるのに食べ物は腹に入らなかった。殆ど食べることなく4日間BCで過ごしたが、これ以上こんな僻地で食べずに過ごすと自力での下山が不可能になると判断し、ガイド一人を連れて下山の途についた。下山中の3日間も殆ど食欲はなかった。スカルドの病院で点滴を繰り返すうちに食欲は戻ってきた。帰国後、JACの某ドクターに立ち話で様子を話したところ、ウイルスか、暑さや危険、環境の悪さ、ポーター達との交渉などのストレスによる胃潰瘍だろうとの見解をいただいた。そして次回から胃潰瘍の薬を携行するように薦められた。(注)その後、会社の身体検査のときに胃カメラで胃潰瘍の様子を検査したがその痕跡は全く無いとの見解だった。

BC入り後、息苦しさも無く、SPO2値や放尿量も夜間の2リッター強を含め仲間と同じような数値を示していた。また、嘔吐、下痢、熱感覚も無かったので高所の影響ではないと判断していた。

そんな事で胃粘膜保護薬と共に2週間分の胃潰瘍の薬を毎日服用したが一向に食欲が戻らない状態が続いた。胃潰瘍の薬も払底したので何とか対策を採らねばならない。遠征には常時携帯している「登山の医学ハンドブック」(杏林書院刊、日本登山医学研究会編)を藁をも掴む気持ちで読み返した。電解質の喪失が食欲不振の原因らしいことにやっと気付いた。スパンティークの時も、今回のBC入りの日を含めて、人一倍の大汗をかくので、水分は十分に(朝食後に胃袋が脹れるほどお茶を飲み、今回は行動中に水を2.3リッターほど)飲んだが、電解質の補給になるサプリメント類を口していない。

急遽、ポカリスエットを口にした。2週間近く食事毎に仲間の半分も食べることができなかったが、食欲も徐々に快復しアタックに出発する朝には何とか皆と同じ量を腹に流し込む事が出来るまでになった。体力がどこまで快復したか心配しながらC1入りのため出発した。BCを出て数時間後、ナイケ・コルに近づいた時に左膝の後ろから左腰、左尻の後ろにかけて、万力(まんりき)で締め付けられるような衝動(*)を感じた。まだまだ沢山のクレバスやスノーブリッジを渡らねばならない。この異様な衝動の度に歩行を中断して、ゆっくりと貧乏ゆすりをしながら、この万力で締め付けられるような痛さが消えるまで立ち止まった。意識はしっかりしており、クレバスを飛び越えたり、クレバスを大股で跨ぐと腰から膝までどころか左足の指先から左半身全体がガチーンと固まってしまう様な気がした。このような衝動がC1入りするまで10回ほど起こったが、その度にザイル・パートナーには時間と心配をかけた。C1(5,900m)のテントに入った直後、左足を伸ばそうとした瞬間に今にも足先から腰にかけて固まりそうな衝動が数分続いた。やがてこの衝動も自然に消滅した。テント内は狭い上に薄い銀マットが1枚敷いてあるのみ。足腰を温めるどころか、身体は冷やしたまま眠るしかなかった。

このような体調を鑑み翌日のC2入りには参加せず、下山の意思を伝え、天気も良かったので出来るだけ暖かくなるのを待って下山の途についた。荷上げの手伝いでC1まで登っていたシェルパさん(コック)にザイル・パートナーを頼み、無数にあるクレバス越えの際にはその都度、確保態勢をお願いした。ゆっくり歩いた事もあってか、前日のような万力で締め付けられそうな違和感に襲われることは無かった。

BCに帰着して、再び「登山の医学ハンドブック」を読み返したところ、この締めつけるような衝動は「筋硬直」と呼ばれるものであることが分かった。やはり、電解質の不足、特にNa不足が原因であることを知った。(P.99〜103、野口いづみ先生執筆、熱中症)

この10数年間、JAC医療委員会の発表会や登山医学会に殆ど出席し、「登山の医学ハンドブック」が刊行された時には、JAC会報に私自身が図書紹介の執筆している。読み返せば電解質不足や筋硬直にまで鉛筆でマークを入れているのに、我がヒマラヤ登山史上最高の舞台で、迂闊にも不思議なほどの初歩的な取り返しのつかない失態を演じてしまった。

【参考事例】
私と同じようにアラブで長年生活経験のある友人に偶然この話をしたところ、灼熱の砂漠で大汗をかきながらゴルフをプレー中、あっという間に全身が硬直し、救急車で病院に運ばれたパートナーがいた。注射などの手厚い看護を受けて、幸い8時間後に退院したが、本人は全身の硬直と共に心臓まで止まってしまいそうな苦しさだったと話していたと。

この話を聞き、あと一歩無理をしておれば全身硬直となり、マナスル氷河の底かマナスル山頂より高い所に旅立ったことだろうと戦慄を覚えた。

3.恥を忍んで

今回の同行者はいずれもヒマラヤ高峰登山の経験者ばかり。皆は毎朝、電解質の入ったサプリメントを調合していた。私はアミノ酸効果、高所順応、トレーニングを含め絶好のコンディションでマナスル入りした事で有頂天になっていたのか。高所の影響か。あのなんとも表現しがたい甘味と後味で下界では敬遠しがちであるといえ、意図的に避けたわけではない。わざわざ日本から持参しながら、なぜ忘れていたのか。魔が差したと言うのか不思議でならない。

BC入りやルート工作時には休憩の度に水筒やテルモスから水分は十分に摂っていたので、仲間たちもまさか、私の電解質補充不足など気が付いていなかったことでしょう。

このような初歩的なミスが大事故に至りかけた報告はあまり見聞した記憶がなかった。あまりに初歩的で馬鹿げた報告かもしれませんが、今後登山の際に、またリーダーとして登山者を引率される時のご配慮の一環になれば幸いと恥を忍んで成文化しました。ご批判、アドバイスなどいただければ幸いです。

【(*)万力で締め付けられるような衝撃】
帰国後、休養を兼ねて近隣の温泉(柏市内の自然温泉、極楽湯)に出かけた。電気風呂なるものに中腰になって足から腰までつけた瞬間、電気ショックがきた。マナスルでの衝撃はこのガチーンときた電気ショックの何倍か大きなものだった。悪夢が甦り、電気風呂から飛び出したのは言うまでもない。

4.メディカル・ドクターからの見解とコメント

この経験談を山仲間の方々にご報告するに当たり、野口いづみ先生(平素から何かとご指導いただき、「登山の医学ハンドブック」熱中症など執筆)のお手を煩わし、先生にご一読いただきました。次のようなご見解とコメントをいただいております。皆様のご参考になれば幸いです。

血液検査をしていないので確定はできないが、典型的な「低ナトリウム血症」の症状と考えられる。食欲不振と筋痙攣は代表的な症状である。電解質のバランス異常として、低ナトリウム症は比較的起こりやすい。

筋硬直の発作(痙攣)は「いきなり起こる制御できない激しい筋肉の収縮」とされている。

低ナトリウム血症はナトリウム量が減った場合か、水分が増加してしまった場合に起こり、次のように分類されている。

1.循環血液量減少性低ナトリウム血症
水分とナトリウムが減少するが、ナトリウムの喪失の方が多くなった状態。これは下痢や嘔吐によって生じる。

2.循環血液量正常低ナトリウム血症
ナトリウム量は正常だが、水分量が増えてしまった状態。水分摂取過剰で生じる(希釈性低ナトリウム血症)

3.循環血液量増加性低ナトリウム血症
ナトリウム量は増加しているが、さらに多くの水分が貯留してしまった状態。心不全、肝硬変など

私(南井)の場合は上記の中の2のケースでしょうと。

先生から下記のご忠告をいただきました。

  • ピュアな水だけを飲むのは、良くない。山行で、水だけを飲んでいる人を見ると心配になるが、短期間であるのと運動強度が低いので、低ナトリウム血症の症状が明らかにならないのでしょう。
  • 先生ご自身は講演ではポカリスウェットなどのスポーツ飲料を飲むよう勧めている。ただし、ポカリのナトリウム濃度は血液の濃度に比較して約1/7とかなり低めである。
  • 私(南井)の場合は、一旦起きてしまった低ナトリウム血症を軽減させる事が出来たが、完全に快復させる事が出来なかったのだろう。
  • 先生ご自身は塩分の摂取を心がけており、山行には濡れせんべいや乾燥梅干などをよく持参している。
  • 知り合いのドクターはゴルフに行く時に、ポカリは持参するが、ナトリウムが少ないことを気にして一つまみの食塩を加えている。味はちょっと悪くなりますが。
  • 最近、山で水だけを飲んでいた友人から山行中に味覚が苦く感じたと、相談されましたが、亜鉛不足の症状でしょう。
  • 水に抹茶を入れる人もおり、植物アルカロイドは各種の電解質やビタミンを含むので、ピュアな水よりはベターだ。
  • 短い山行では、果物や野菜のジュースが電解質、ビタミン、クエン酸を含み有効である。
  • トライアスロンで筋硬直をきたした先生の知人がいる。

以上、長文をお読みいただき有難うございました。

管理者注:野口いづみドクターは、日本山岳会医療委員会委員に就任され、山岳医療に最も精通され活動されている医師のお一人です。

2006年11月2日


マナスル写真集

1.手前ピナクルの左奥が主峰(8163m)
手前ピナクルの左奥が主峰

2.雪煙巻く
雪煙巻く

3.マナスル氷河本流のクレバス
マナスル氷河本流のクレバス

4.荷上げを終えてBCに戻るシェルパ隊
荷上げを終えてBCに戻るシェルパ隊

5.昨年、プレ・モンスーン時、ここBCは4メートル以上の雪に覆われていたが・・・
昨年、プレ・モンスーン時、ここBCは4メートル以上の雪に覆われていたが・・・

6.氷壁帯
氷壁帯

7.氷壁に挑む。アイゼンを効かし一歩いっぽ
氷壁に挑む。アイゼンを効かし一歩いっぽ

8.氷壁登攀・・・主峰が迫る
氷壁登攀・・・主峰が迫る

9.満71歳 バースデイ・ケーキを前に祝福を受ける(右は大蔵喜福隊長)
満71歳 バースデイ・ケーキを前に祝福を受ける(右は大蔵喜福隊長)

10.BC〜C1間、マナスル氷河本流は全流域がクレバス散乱?地帯
BC〜C1間、マナスル氷河本流は全流域がクレバス散乱?地帯

11.危険なスノー・ブリッジ
危険なスノー・ブリッジ

12.足元のスノーブリッジが崩壊し、後でフィックスロープを取り付ける(称して“ミナミイ・クレバス”)
足元のスノーブリッジが崩壊し、後でフィックスロープを取り付ける(称して“ミナミイ・クレバス”)

13.対岸からの写真・・・左側に8メートル落下、底なしのクレバスの中で宙吊。
スノーブリッジは崩壊し狭いところでアイゼンの幅しかない
対岸からの写真・・・左側に8メートル落下、底なしのクレバスの中で宙吊。

14.BC、雨と雪が降り続く・・・
BC、雨と雪が降り続く・・・

15.右下の黒い岩の上にC1、C2は左上の稜線上に・・・
右下の黒い岩の上にC1、C2は左上の稜線上に・・・

16.C1からC2間のクレバス。C2はクレバス帯の最上部(ノース・コル)に設営
C1からC2間のクレバス。C2はクレバス帯の最上部(ノース・コル)に設営

17.後から二人目が南井氏
後から二人目が南井氏

18.左が南井氏
左が南井氏

19.登りきったところ
登りきったところ

20.マナスル氷河本流の氷雪原は全てがクレバス帯と化す
マナスル氷河本流の氷雪原は全てがクレバス帯と化す

21.マナスルをバックに南井氏
マナスルをバックに南井氏

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